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(考察)宇宙人は存在するのか

今週のお題「雨の日の過ごし方」
雨の日こそ、想像に思いを巡らせ、様々なことを考察してみることを勧める。

本稿は大きく分けて2つのことを考察する。1つ目に宇宙人は存在するか否かについて、そして2つ目は、「宇宙人は存在するのか」という議論自体について、それ自身がなんたるかを考察しようと思う。

まずは宇宙人が存在するか否か、についてだが、私としては是非とも存在を肯定したい。その証拠になりうる面白いソースをいくつか紹介する。

次のリンクの文章を読んでみてほしい。pdfか何かをダウンロードして読む形式だ。

https://www.cia.gov/readingroom/document/0005517761

これはURLを見てもらえればわかるが、CIA(米国の情報組織)のホームページで公式に張り出されているものである。英語がキツイ人は、ぜひ翻訳アプリでもなんでも使ってみてほしい。簡単にまとめれば、軍が訓練中にUFOを誤射してしまい、UFOは墜落。落下地点を確認しに行ったところ、形が変幻自在の宇宙人と遭遇。その宇宙人が突然眩しい光を放出し、影に隠れていた数人を除いて全員が石化してしまった。というKGBソ連の情報組織)の報告書を発見した。という内容である。嘘にしてもやり過ぎだろうと思うかもしれないが、少なくとも私は嘘をついてはいない。翻訳アプリを使えばわかるはずである。また適切に反映されていない場所があれば、自分の目で読んでみてほしい。私はまったくもって誇張もなにもしていない。

あるいは次の動画を見てほしい。これも英語なので、自動翻訳を利用するとわかりやすい。

https://m.youtube.com/watch?v=JDuqZbjxB_E&t=300s

まとめると、カナダの国防長官が「宇宙人は存在する」と激白する動画である。彼が言うには、宇宙人は地球人に友好的であるものの、戦争による核使用が宇宙空間にも影響を及ぼすことを懸念している、とのことだ。

最後にこの動画。

https://m.youtube.com/watch?v=-nSHiHO6QJI

内容は概ね、UFOを利用した通信技術が既に試行段階であったことが漏洩したgoogleに対して、国規模だったらしいその情報の扱い方と、説明責任、またUFOの技術の由来についてなどを、googleの役員が国会で質問責めにされている様子である。

次にこの議論自体を考察する。「宇宙人は存在するのか」という議論について。先ほどまで色々証拠を出してきたものの、これは非常に、傲慢な考えだと言わざるを得ない。知的生命体がいることが奇跡で、特別であるような見方を我々は持つが、それはどうも利己的である。例えば、火星と同じ星はいくらでもいると思うかもしれないが、火星には火星の物質のあり方がある。そこに知的生命体がいないのではない。そこには火星の大地や大気という事象があるのだ。水が液体でいられないほどの低温であったとしても、代わりに他の物質が液体になるし、どうも水云々の議論をすること自体、我々地球人が周りが見えていないことは明らかである。ことに我々は意識を持っているかどうかに重きを置く。確かに地球上では意識が存在することがもはやこの世の支配者を意味する。そしてだからこそ、水もなく、荒れ果てたつまらない他の星に対して、地球基準の物差しを使って、何もない星、としてしまうのである。分かりやすく言えば、地元で負け知らずの喧嘩好きが、同じくらいの強さの人間を探したがるのと似ていて、そして彼らは決して、他の温厚な人間を、鉄道好きやアニメ好き、アイドル好きの人間、といったように個別で把握することはできないのである。

先述したのは根本的な考えについての言及であったが、なぜこの議論は広く行われるのか、ということも併せて考えてみる。結論から言えば、大半の人間は、あるいはすべての人間は、実際に宇宙人やらを見ていないだけに、勝手に信じ込むことができるし、またまっとうな論理性を持たずして頑なに否定することもできる。これがこの議論のずるいところなのだ。だれが何を言っても、我々は否定することはできない。そして、我々は何を言われても肯定することもできない。いかなる権力のもとや自分以外の周りの人間の意見に晒されても、自分の目で見るまでは何も確かな判断はできない。実は、本稿で宇宙人が存在することについて3つ証拠を提示したが、3つ目はただの国会の様子である。自分の目でソースを確かめて、英語を理解しなければ、嘘だったとは見抜けない。

この手の議論は、大抵「肯定するほどの根拠はないが、否定をすることも難しい」という悪魔の証明として締めくくられることが多い。これは実際に正しい。しかし、そこに他の結論を出すとしたら、それは、他の星には他の物質の有り様がある、ということである。相手はなにせ未確認生物であるのだから、このように常識も疑わなければ見えてこないものである。もしかしたら、あるとき不意に異なる有り様を閃いたとき、我々は彼らが想像以上に身近にいたことに気づくのかもしれない。
最後にひとつ、言葉を紹介しよう。
「火のないところに煙は立たない」

次回
(考察)恋愛をするべきでない論理的な理由