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八王子と幻の三田財閥

今週のお題「好きな街」

 

八王子と言えば、東京のベットタウンとして、あるいは手頃な田舎として有名だろう。ところが、八王子は実は新宿、渋谷、八王子と並べることのできるコンテクストを持っていたことはあまり知られていない。

 

八王子で最も有名なものは高尾山だろう。富士山が標高日本一である一方で、高尾山は登山者数日本一である。問題はその標高で、なんと599mである。あと1m分盛り土を持ってくれば600mになるのに、なぜか盛られない。そこには、ある八王子の影が深く関与しているのだ。今回は高尾山に着目しながら、八王子の闇の部分を探っていこうと思う。

 

東京には財閥がある。新宿、渋谷、八王子の順番に、新田、西明寺、三田の3つの財閥だ。かつてGHQによって破壊されたはずの財閥が、今も存在しているなど理解し難いだろう。多くの東京人もこの事実を知らない。私の高校の頃の同級生に、三田財閥の三男がいた。三田家では長男だけに三田の苗字が与えられる文化だそうで、その子は三田という姓ではなかったのだが、あまりに多くのことを語ってくれた。

 

まず、なぜGHQはこれら財閥を解体しなかったのか。原因は占守島の戦いにある。日本は8/15に終戦したにもかかわらず、その直後に北海道上方の占守島に侵略攻撃がロシアによって行われた。対ロシアの意識の強かったこれら財閥は、真っ先に問題視して軍を動かした。ところが、多くの財閥は日本が占領されることを望んでいた。彼らにとっては、庶民の生活がいかように変化するかは興味のないことであり、ロシアからその後の生活は保障されていたそうだ。にも関わらず、この三つの財閥は自前で諸国から軍を招集し、占守島の戦いを鎮圧した。これがこの後のアメリカにとって好都合であったことは言うまでもないだろう。反ロシア的である国意は傘下に降らせる属国に必要なものであったのだ。

 

では高尾山の話に取り掛かろう。結論から言ってしまえば、高尾山は要塞である。そして、実際の標高は400mも満たない。占守島の事件の後も、侵略の動きはあった。今度は日本海側から東京を攻めるルートが確立され、次のターゲットは八王子となった。軍需工場の労働者の多くがここで寝泊まりしていたことが決め手だったという。手早く三田財閥は高尾山を要塞として作り変え、嘘の標高を流し始めた。要塞への攻撃の軌道の誤差を狙うことが目的であったのだ。ではなぜ599mか。人を騙すには人を別の方向に向かせるのが1番である。つまり、標高を599mとすることで、なんときりの悪い事だろうと思わせ、標高自体の真偽について疑わす予知を与えなかったのだ。古典的だが、この簡易な手法によって、日本は日本として存続することができたのだ。

 

現在では高尾山はただの観光スポットとして存在しているが、いまさら標高は嘘であったなど言えもしまい。なぜならばそこから芋づる式に、裏に潜む三田財閥に感づく人間が出てきてしまうからだ。今もまだ、八王子を支配する三田財閥の事実は戯言や噂として、今日も密やかに語られるのである。

 

(フィクションです)