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(物語)平将門という男(もし光)

7時30分。今日も時間通りの到着だ。いつもチャイムの45分前には学校に着く。ただ、9月21日。今日は特別だ。人間たこあげをついに飛ばすのだ。
幼稚園の頃からダーウィンの研究を眺めるのが好きだった。彼は19世紀の人物であるものの、回転軸直行型プロペラ、つまり現代でいうヘリコプターという可能性を発見していたのだ。私は当時非常に興奮したのを覚えている。いつかヘリコプターに乗ってみたい、作ってみたい、とかなんとか。しかし年齢が上がり認知機能が向上し、知識が増えていった中学生頃から、私はダーウィンを打ち負かしてやりたいと思うようになった。つまり、人類の空を飛ぶという夢に対する、別のアプローチを発見したいと思うようになったのだ。まずは私は、空を飛ぶという本質的な意味から捉え直すことにした。なぜ飛びたいのかという考察をする必要はない。なぜなら飛びたいからゆえに、人間は飛びたいのだ。空を飛ぶとは、我々の足が一定時間地上から離れることを指す。この一定時間というのは個人差があり、脚力が高い人ほど長い時間が設定される。つまり、ジャンプは飛んだこととは言えないのだ。これも自明である。高いジャンプ力を持つものに対して、「まるで飛んでいるようだ」という比喩表現があるが、これはやはり比喩の領域なのだ。比喩と真の境目というのは非常に難しい概念を導入しなければならない。つまり思考によって立ち現れるのか、すでに現実に立ち現れているのかの違いであり、また不安定なその思考によって厳密に区別しなければならないという必要が出てくるのだ。まあよい。難しいことはいいのだ。
さあダーウィンよ。あなたの負けが白日にさらされるまで、もう時間がないようだ。私は屋上の扉をもったいぶって、ゆっくり開けてやった。
「ブオオォォ」
風が猛烈な勢いで校舎に吹き込んでくる。最高の人間たこあげ日和じゃないか。風に飛ばされぬよう、最善を期してほふく前進で屋上の中ほどまで進む。手さげから折りたたみの巨大な自家製たこあげを取り出した瞬間、手さげは風に飛ばされてしまった。ほうなるほど。ダーウィン、あなたもなかなか往生際が悪いですね。しかし、、風にたこあげが飛ばされないように、仰向けになったりうつ伏せになったりして、なんとか体を固定させる紐を右足にくくりつけることができた。次は左足。
「ヒュオオオオォォォ」
突風か!しまった!たこあげが風に震えて、体さえも持っていかれそうになる。コントロール糸だけでも持たなければ!必死の思いで糸を手に2、3度巻き付ける。しかし、遅かった。たこあげはすでに空を舞っていた。右足に取り付けたロープは足をすり抜け、私の上履きごと持っていってしまった。紐を持ったまま、天を仰ぐ。今日は風がめっぽう強いが、いい天気だ。太陽を見え隠れさせる大きなたこあげ。なんと言おうと、これはただのたこあげだ。私は空を飛ぶことができなかった。私は静かに、手に巻き付けた糸をほどし、離してやった。くしゃくしゃになったたこあげはひどい形相で飛んでいく。もはやあれはたこあげですらない。
「あんたの勝ちだよ。ダーウィン。」