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(物語)もしも光源氏が高校生だったら(2/2)

教室の戸を開けると、僕はすぐにその場の異様さを直感した。教室に踏み出した足が違和感を覚える。そこには長い髪の毛が落ちていた。そして周囲に目をやると、いくつかの机や椅子が本来の位置からずれたり、倒れたりしている。誰かが争いあったのだろうか。そんな様子にもかかわらず、女生徒たちは自分の席でじっとしていて、男どもは僕を見て笑ったり、近くのものとこそこそ小言を言っている。
「ついにお出ましだ。」
「うわー、俺ちょっと楽しみだわ。」
紫がすぐに僕に気づく。彼女は僕をずっと見たまま、にらみつけている。その目には、泣いた痕跡があるように思えた。彼女は低い声でつぶやいた。
「光くんは、、、」
なにもわからないが、必死にまずは事情を知ることからだと頭を切り替える。その矢先、彼女は大きな声を上げた。
「光くんは誰が好きなのよ!!!!」
「君だ!!」
僕は脊椎反射のように発した自分の言葉に動揺した。紫も少し驚いた様子を見せたが、すぐに鬼の形相で席を立ち、僕の方に近づいてきた。それに従うように、女生徒の泉、清も近づいてくる。
「紫、とにかくこの状況を説明してく」
パーン!!
紫の平手が左頬を鋭く打った。
「誰にでも好きって言ってるんでしょ?!私だけじゃなかったのね!女子にもてはやされてはいても、光くんは私のことを思ってくれてるって信じてたのに!」
「違う!少し落ち着いてくれ!!さっきのは反射的なもので僕もよく分からない!でも、その気持ちは嘘じゃない!!」
紫は依然とした態度で僕を責め立てる。
「私のこと本当に好きなの?!」
「好きだ!」
教室の端で大人しく本を読んでいた将門がつぶやく。
「1人目」
紫は続ける。
「じゃあ泉ちゃんのことはどう思ってるのよ!」
「泉も好きだ。」 
「2人目」 
将門の隣の席に座っていた頼朝が怪訝な顔をして将門にささやく。
「お前それ、、趣味悪いぜ。」
「それなら、、清ちゃんのことは、どう思ってるの、、?」
だんだん紫の語気が強くなってくる。
「もちろん好きさ。」
「3人目」

5分後

「政子ちゃんは」
「好きだね。」
「k回目」
「妹子ちゃんは」
「好きだな。」
「k+1回目」
紫は必死に女生徒の名前を出そうとする。クラスの女生徒全員の名前は既に出揃い、となりのクラスの半分くらいまではきたところだ。将門がついに本を閉じ、おもむろに何か言い出しはじめた。
「紫、もう無駄だ。それではなんの収穫も得られないだろう。」
「あんたに何がわかるのよ!」
数学的帰納法だよ。」
クラス中がざわつく。
「とんでもねぇやつだ、、」「なんてことだIAの範囲外だ!」「よ!学年トップ偏差値59!」
紫と泉の顔は、絶望していた。将門の発言にではなく、僕とまともな話し合いが出来そうにないことに苦悶しているのだろう。そして、清はこの雰囲気に耐えられなくなったのか、泣き始めた。もう疑うことなき修羅場だ。困惑と混乱の狭間のなかで、僕の視界はゆっくり暗くなっていった、、そのとき。
「お、おいおい光!そんなことやっちゃいけねぇよな!いやほんとだらしねーやつでよ。こっちでキツく言っとくから、とりあえずここは俺に任せてくれないか?いずれにせよこんな状態じゃ、まともな話できないだろ?な?」
そう言って道長はがっしりと僕の手首を掴み、すごい勢いで廊下に飛び出し、走り始めた。助かったらしい。と心を落ち着かせる間も無く、道長が叫んだ。
「なにやってんだ!はやくその重そうなリュックを捨てろ!追いつかれるぞ!」
振り向くと、目と鼻の先は紫だった。これだけはここには置いていけない!とっさにリュックの前側についているポケットから小包みを取り出し、ズボンの左ポケットに入れ込む。すでに紫はリュックを捉えていたので、そのままリュックを持たせたまま腕を抜く。
「ごめん!あとでゆっくり話そう!」
僕たちは走り続ける。この廊下はこれほどまで長かっただろうか。この世で一番長い廊下を走っているようだった。紫から逃げたことへの罪悪感が、あの教室におぞましい引力を与えた。長い長い廊下の突き当たりまできて、道長は止まった。
「どうやら諦めたみたいだな。」
僕はただ安堵して、なにも言わず息を整える。道長は大したことなさそうだ。さすが元バスケ部。体力が違う。僕が一息つくのを確認すると、道長は今度は突き当たりの左にある階段を上がろうとする。
「おい、今度はどこに行くんだ?」
「屋上、いこーぜ。」
屋上、、、たしか2年生まではよく行ってたな。3年の春に将門が人間たこあげの実験をやって立ち入り禁止になったんだっけ。確かにそこなら安全だ。それにしても、今回ばかりはちゃんと道長に感謝を伝えなきゃいけないな。最上部の階段に差しかかる。
「うへーほこりだらけだ。」
確かにほこりがすごい。足跡がつくほどだ。これは僕たちが屋上に行った痕跡を残しているのと同じような気がしたが、久々の屋上への高揚感に、そんなものはすぐかき消された。立ち入り禁止の柵をまたぐ。学校側の対策も雑だ。こんな柵だけで屋上への扉には鍵もかかっていない。扉を開けると、一気に視界が開ける。屋上のコンクリートの床に足をつける。ああ別世界だ。先ほどまでの重い空気のある校舎から、一気に解放されたようだ。空はこんなに眩しかっただろうか、それでいて晴天だ。雲ひとつない天気とはまさに今日のことであろう。切にそう思う。道長は既に向こうにいて、フェンスに肘をかけている。
「お前も早く来いよ!」
懐かしい光景を追いかけて、駆け出す。僕も真似をして、右隣りで肘をかける。この風景。1年ぶりくらいだろうか。僕らの高校の周辺は都市計画が進んだものの、もとは田舎だ。少し遠くに目をやれば、山々が見える。都市計画はもっと下の方。ああ、あのY字路。毎朝あの場所で朝日を見て、道長と出会う。そうだ思い出した。ポケットに入れた小包み。
道長、これ、やるよ。」
「お?なんだよ。もしかしてチョコ?」
「楽しくないバレンタインデー、今年は楽しい日にしたかったからさ。友人であるお前に、これあげてみようかなって。まあ、今日は災難だけどな。」
「知ってた。」
「え?」
「お前が一生懸命お菓子屋でチョコ選んでたの、知ってた。あそこの主人、俺の母ちゃんと仲良くってさ。いつもお前は、「新作はまだか、まだか」って言ってたらしいな。お前が女子にチョコなんて渡す訳ないから、これはいよいよだって家族も湧いちゃって、「道長!嫁ぎに行きなさい!」なんて母ちゃんが言い始めてさ。今年はもらえる自信があるんだって、言ったろ?そういうこと。」
道長、、、」
「光、俺さ、ずっとお前に言いたかったことがあるんだ。」
ドン!
扉が勢いよく開いた音がした。急いで振り返ってみると、そこには紫がいた。側まで走ってくる。そうして、僕に抱きついた。
あまりの出来事に、僕はただ驚いてしまった。焦っていると、そうだ道長がいるじゃないかと、そして目で助けを求める。が、道長は目をそらし、不思議なことにそのまま屋上の扉に向かおうとする。僕を置いていく気か!
「お、おい道長!」
道長は少し振り返り、笑ってこう言った。
「お前には紫がお似合いだ。俺には、もっとふさわしいやつがいる。」
そうして、道長は行ってしまった。どうするべきか、何もわからない。ただ一つ言えることは、なんかいい匂いがするということ。いやいや、そんなことを考えている場合ではない。僕は何をするべきなんだろうか。
「反射的に答えちゃったって言ってたでしょ?それを思うと、光くんの気持ちは本当なのかなって。光くんの「君だ」って言葉、信じてもいいの、、?」
紫が静かに言う。今しかない。僕は確信した。ずっと言えなかった思い、誤解も疑念も全て。ここで言うべきなんだ。
「信じて欲しい。確かに、僕は小泉も清も好きだ。でも僕は、僕は、君が好きで、それで、僕は君と付き合いたいんだ!!!」
紫の抱きしめる力が強くなる。そして、ずっと堪えていたかのように、一気に涙を流した。むせび泣く声で、紫は言う。
「私も、、私も好き。」
僕は静かに、紫を抱きしめた。
さっきから将門がたこあげで僕らを見ていることを、この瞬間だけは、黙っておこうと思う。

Fin