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(考察)ウマ娘はなぜ大ヒットしたのか

結論から言えば、手練なるクソジジイ達の賜物である。

まずファーストコンタクトでかなり汚い印象を受ける。第一に美少女×〇〇〇というヒットアプリの定石を踏んでいることに制作側の汚い意図の匂いがするが、加えて混ぜ合わせたのは競馬である。競馬といえば若者はまずピンとこない。そりゃそうである。ターゲット層はおっさんだから。経済的余裕のある層を狙っているのがあまりに露骨である。さらにいえば、レース後になぜかライブがある。アイドルプロデュース系の流行りに乗っかりたかったのだろう。なんと欲張りなことだろう。

しかし、これだけ見ればかなり金儲けに眩んだハリボテのアプリのように見えるが、実際はそこまでの欠陥を感じさせない。むしろ、冷静な金稼ぎというよりか、制作側の競馬への熱が感じられてならない。ウマ娘の名前が実在馬であったり、その馬にちなんだキャラデザインがなされていたりする。またアニメも放送されたのだが、ここにおいては競馬場の実況が史実通りに展開されたりなど、底知れぬ競馬へのリスペクトが感じられる。

正直言って、このゲームに女子供は向いていない。美少女と競馬好きのクソジジイたちが、美少女と競馬好きのクソジジイたちに向けて作ったおじさん専用市場でしかないからだ。ゲームでは可愛かったりカッコよかったりな少女たちが汗水垂らしているが、その向こうではおっさんたちがガマ油を撒き散らしているのである。
 
私はこのゲームが好きである。なにより執念が感じられる。テンプルランの考察でも述べたように、執念がコンテンツを輝かせる。クソジジイたちの美少女と競馬へのきもい執念が、ウマ娘を大ヒットさせたのである。

ウマ娘の勢いはいずれ衰えるだろう。だが、そこまでひどく落ちぶれることはないとは思う。なぜならウマ娘は上記のように単なる美少女×〇〇〇コンセプトアプリではないからだ。一部のユーザーに根強い人気が残り続け、しばらくは存続していくだろう。

ひとつなにか懸念があるとすれば、人々の趣向の変化が怖い。簡単に述べれば最近の人は10年前のキャラクターより今のキャラクターを好むということであり、つまり容姿に対する人々の趣向は変化するということである。10年とも言わず、現在の世代の好まれるキャラの容姿は新海誠の登場あたりからきているような感覚が私にはある。

他のアプリがこれにどう対応してきたか。パズドラは進化やより強い新キャラの追加によって今風の容姿のキャラで埋め尽くし、時流に乗ってきた。エキドナの容姿の進化はあまりにも有名である。モンストなんかもそうである。しかし、ウマ娘の場合は容姿が大幅に変わるシステムは存在せず、また実在馬の名前を使うことに際して契約が発生しているため、次の世代の容姿の新キャラが登場するたびに、露骨に強くしていくことで既存のキャラを廃れさせることもできない。単純な話、馬主に怒られるからである。制作側が二次創作を推奨していないことからも、かなり実在馬へのイメージは大切するよう言われているのだろう。

ウマ娘の大ヒットの要因は丁寧なヒットへの定石を踏んだこと、そしてそこに執念があったことである。今後のウマ娘はどうなるか、どこまで続くかは分からない。ただ、少なくとも今日全国のクソジジイが、ドトウに和んでいることは揺るがない事実である。また、コンテンツの存続というのは野暮な視点である。いまこの瞬間に人々を楽しませるコンテンツがあり、そしてそれがウマ娘である。ただそれだけでいいではないか。我々は制作したクソジジイたちをまず称賛するべきであり、それをありがたく頂戴することに、人間の熱意の循環が起きるのである。私はここにアプリないしゲーム云々なんぞ逸脱した価値があると思っている。ただし、では最も素晴らしいウマ娘は誰かという議論に関しては、私は意固地にならざるを得ない。十分に理知的で、物の分別がつくのであれば、人はタキオンを推すのである。熱意の循環なんて非常に自己や主観の薄い表現をしたが、推しに関しては全くもって私は排他的に、タキオンと言い続けるのだろう。




次回はトンデモ先輩書きます。