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(考察)人間の絶望と邦楽について

お題「#新生活が捗る逸品」 

新生活にはなにが必要か。私はそれは、愛だと思う。

このサイトは毎週お題が出てくる。ただ、そのお題がいつも非常に実用的で、建設的なために、私の記事にはどうも毛色が合わない。今までのお題は強引に物語を書いて落とし込んではきたものの、そろそろ真剣にこれらのお題に私の記事らしく、向き合ってみたい。

新生活は環境が大きく変わる。場所も人間も変わる。こういう時こそ、人間の最大の天敵が現れる。それは、絶望である。どうも人間はふいに、絶望する生き物のようである。自殺が多いのも春だ。今回はこの絶望について、語っていきたい。

人間の絶望の先にはなにがあるのか。人間誰しも人生の中で1度は絶望するものである。そんなとき、私たちの精神の最後の砦は何か。絶望した人間の精神の動きを、邦楽を交えて考えてみよう。まだ絶望したことのない人も、来たる日のためにこの内容を心に留めておくことは、非常に大事だと思う。

まず、本質的に人間に、いかなる精神状況であっても刺さるのは中島みゆきの曲である。これに異論はないだろう。ただ今回の論点は絶望である。絶望明けや、絶望前夜に聞くといい効果が期待できる場合があるかもしれないが、彼女の曲は達観し過ぎているために、人間のこの世から消えたい感情さえ達観させ、flyする人が出てくるように思える。そこは泥臭く人間的に捉えなければならない部分である。

絶望時の、腐った精神に刺さる曲、それは玉置浩二の「田園」やウルフルズの「笑えれば」などである。挙げればキリがないが、ここの本質的メッセージは、「生きていること自体の肯定」である。これによって人間は0と100の呪縛から解放される。夢を叶えるか、この世から去るかの二択しかない世界が、もっと広がりはじめる。これは言葉では馬鹿らしく思えるが、やはり理想と現実のギャップは、いつも私たちの想像を必ず超えてくる。これを、許せるようになる。

そして、次の段階。現実を許せるようになっても、やはり悶々とした気持ちは持ち続けるものである。そこで刺さるのが、「人間の最後の原動力としての愛」を歌った曲である。平井堅の「ノンフィクション」や、シティーハンターのOPもそのようなメッセージ性があっただろう。ただどの段階においても、曲が何かはどうでもよい。人による。しかしこれらの役割を果たす名曲たちの、本質的メッセージは揺るがない。

その人のことを思うだけで、自然と力が湧いてくる。そんな人をつくると良いと、私は思う。その人というのは、異性、同性、両親でも、芸能人でもなんでもいい。人でなくてもいいとも思う。とにかく、人間には愛が必要である。とりわけ絶望という状況においては特に。

愛とは人間の尽きない燃料である。もしあなたの燃料がなくなってきていたら、新生活に恐れしかないのなら、あなたに必要なものは、愛である。