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(超玄人向け考察)我々は何者か

本項は超玄人向け考察である。ほとんど妄言と捉えてもらって構わない。また、友人と交わした「宇宙人がいるかどうか」の議論も参考にさせてもらった。

人間には意思がある。古くから心身二元論が信じられ、意思が我々と他の生物を隔てきた。もちろんライオンが獲物を見つけたら捉えようとすることもライオンの意思によるものと言えるが、人間の持つ意思とは、一般に自由意志と呼ばれる。本能的ではなく、自由に我々は歩き、音楽を聴き、ゲームをする。もっと言えば本能的に動くか理性的に動くかを選択することもできる。これが人間の持つ意志である。この考え方で、我々は自身をほとんど世界の支配者として傲慢に振る舞ってきた。しかし、科学進歩によって脳科学や心理学の分野から、我々の意思とライオンの意思の違いが、その複雑さのみであるという見方が出てきた。要するに我々の意思というのも、ライオンの生物的な本能の説明と同様に、自然現象の働きに還元できるということである。

ここまでが事実である。私はここである仮説を立てた。「人間は調整役なのではないか」この世界は自然現象に支配されており、傲慢な我々もまたその下部にいるというのが今日の妥当な考え方であるが、その自然現象によって世界が動かされていく中で、まわりきらない部分というのが存在する。そこにピンポイントで"自然現象"を発生させる、これが人間の役割ではないかと。

詳しい説明に入る前に、私の仮説は決して神やなんらかの第三者を前提とするものではないことを説明させて欲しい。ただ自然現象は発生するのであり、そこに意思は存在しない。油が水に浮くように、我々は調整役としての役割を果たすのである。

では説明に入ろう。あらゆるものは自然である。自然というと緑のイメージを思い浮かべるが、宇宙も自然である。自然現象が起きるそのフィールドはすべて、自然とみなせる。また自然現象というとマクロな動きのみをイメージするが、粒子の動きといったミクロの動きも自然現象と広義にとらえる。我々は自然に降り立った自由意思のある生物から、我々も自然の一部、というか自然に落とされた。なぜならば認知の働きはホルモンの働きに還元されうることが理解されており、その働きとは、まさに自然現象に基づくものであるからだ。

そうである場合、ではなぜ我々に複雑な意思が与えられたのか。それは、一般的に考えられる自然現象、風や火山、海流では、収まるところに収まりきらないからではないかと考える。要するに壁にボールを投げれば返ってくる。それが収まるところに収まっているということであるが、そのスケールで見れば要素はボールと壁、ないし重力や空気抵抗くらいである。その程度の要素の数であれば自然現象だけで落とし込むことができるが、地球や宇宙のスケールで見た場合、単純な我々の認識するような自然現象ではやはり収まらないのではないかということである。これは決して奇天烈なことではない。むしろ自然でできた人間が自然現象に一才関わらないと考える方がよっぽど奇天烈である。

では我々はどのように自然に影響を与えるのか、それこそが我々に自由意思がある答えだと考える。一般に捉えられる自然現象によるいくつかのまわりきらない部分、わだかまりを自由意志を持つ人間がピンポイントで影響を与える。例えば粒子同士をぶつけて新しい粒子を作ったり、原子爆弾を落としたりする"自然現象"を発生させる。それによって完全な自然現象が成立する。本項ではこの人間のあらゆる働きも、自然現象のひとつとみなしているのだ。

これが私の仮説である。ここから、さまざまな議論に新しい視点を与えることができる。例えば宇宙人はいるのか。宇宙人を我々と同じ自由意志を持つものとすると、私の仮説からすれば、宇宙全体の自然環境の調整役を人間がカバーしきれないかぎり、そこかしこに宇宙人はいるはずである。ただ問題がある。宇宙人と出会うとしたら、どうなるだろうか。自由意志同士の出会いはろくな結果を呼ばないことくらい、人類の歴史を見ても明らかである。当時は民族間であり、今回は出身の星が違うだけで、本質的になにも変わらない。とすると、当然どちらかがダウンすることになるのだが、そうなるとそこの自然の調整役がいなくなる。これは相当自然からすれば不都合なことであり、我々の自由意志が自然現象の範疇にあることからも不都合になりうる自由意志は発生しないはずだろう。要するに宇宙人同士は会えない。先述したが、「不都合」とか「会えない」と書くとそこに自然の意思とか神の存在を前提としているように聞こえる。しかし私が述べているのは、これも油が水に浮くのと同じ現象、ということである。

または、我々による自然環境の悪化。これは非常に我々が自然に反しているように感じてならず、これを否定せずして私の仮説は成り立たないのだが、これも説明がつく。単に人間的な考えをやめればいいだけである。もっと大きな宇宙単位で見れば、地球環境ひいては地球が破滅することは、自然全体の利益になる場合があるかもしれない。であればこれも我々調整役としての役割と言えるのだろう。なぜならばこれほど効率的にストイックに、自然環境を破壊する生物はいないからだ。

本項は超玄人向け考察であった。トンデモ理論であるから、本気に捉えるべきものではない。信じるか信じないかは、あなた次第。という程度のものだ。