いろいろ書く

毎週日曜日更新

(吐露)考察について

(吐露)
完全なる私事の悩みを書くことで、同じ悩みを持つ人の苦痛を仲間意識によって改善傾向に向かわせ、その悩みはないものの悩みの耐えない人には新たな悩みを付与する、正負スパイラルタグである。




今回の悩み「完全に対する執着」

学校の勉強を疎かに生きてきたことは阿呆なことであった。考察するための知識が足りない。片腕やるから知識が欲しい。いまどきのやんちゃな小学生は不登校になりYouTubeを始めるそうだが、彼らの言い分のひとつが次のようなものである。「知識はネットで調べれば出てくるからいらない。」これはなんともまさに、知識のない人が言いそうなセリフである。もちろん私も満足に思考するほど知識がなくて困っている身ではあるのだが、我々が解釈の中で生きている以上、知識は存在に先行することくらいは知っている。ネットに頼るのも賢い手ではあるが、調べるにもなにも、そこに調べるものがあるということが分からない。

当サイトにおけるあらゆる考察も、正直言ってすべてエセと言っても過言ではない。確かに言葉による論理性が保たれている場合もあるが、私の主張には学術的根拠がほとんど存在せず、また今までの人類の議論も知らないために、私の考察した議題がすでに議論し尽くされていて、私の出した結論に非常に鋭い反論が多く出されていることもあるはずだ。ついでに言えば、私は高校物理を学んでいないために、慣性の法則云々の記事における用語の利用はかなり怪しいものがあるだろう。

私は半分はアイデアの共有や遊び、あるいは単なるツッコミ待ちのボケ目的に考察しているが、もう半分は本気である。それゆえに、非常に困っている。ここで謝らせてほしい。論理的に強固な文章でなくて、ごめんなさい。そしてなにより、幼い頃から知識に貪欲になれず、いまごろそれを渇望する過去と現在の自分に、ごめんなさい。ごめんなさいを言ったのだから、ありがとうを言わなければ自尊心は均衡を保たない。皆さんいつも読んでくれてありがとう。未来の自分を作る過去と現在の自分ありがとう。

突発的にふと悩みだし、この頃ずっとこれに悩まされている。自分なりの答えを出すことに意味があるとして考察を続けていくか、考察をなくして物語に絞っていくか、まだ結論に至ってはいない。少なくとも、私はまず第一に私のために、そして第二に読者のために、決して傲慢であってはならないということを常に肝に銘じて精進したい。

現在考えている解決策は
1、考察をしない、公然に出さない
2、知識人とコンビを組む
3、知識をつける
番号が大きくなるほど難易度が上がり、時間もかかる。というか、私の欲している知識のクオリティを考えると、3はもうその道に進むということである。なんにせよ体制が変わるにせよ、このサイトをやめることは当分ないので、ぜひ、今後ともお付き合いいただきたい。