いろいろ書く

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生きれば生きたくなる

「生きれば生きたくなる」

私はただこの一点を伝えたいがために、魂を込めてここに文章を残します。そして以下のことから、私はもう筆を置くことにしました。

 

 

私はこれまで医者を目指して勉強してきました。ですが、この度進路を変えようと思っています。化学科に進みたいのです。生きる絶望にさいなまれ屍のように生きて、やっと見つけた活路が同じような生きる屍を一人でも支えてやりたいと志した道でありました。抽象的には人を元気づけるという道です。今は少しましになりましたが、当時は勉強が微塵もできませんでした。そんな奴が突然医者になりたいなんていい始めて、理転なんかをして放課後も休み時間もカリカリ勉強し始めたのです。それなりに教員を動揺させ、生徒を焦らせたことでしょう。ですが一方で誰かを勇気づけられたのではないかとも思っています。私がここで言いたいのは、あの人は頑張っていたけれど、そうかあきらめたのか、僕私も無理かもしれない、そんな風に思ってほしくないということです。屍が屍を救うという構図も悪くはなかったのですが、幸せなことに血の通う人間になってやりたいことを見つけてしまったのです。屍は他に救ってもらおうと思います。同期に何人か医学部志望の人がいて、みなかっこいい血のみなぎる人たちです。あれほど自分を律することのできる人たちが医者を目指していて、自分のことのように本当に誇らしいのです。彼らがいれば、日本の若者の死因のNo.1は餅の誤飲かなにかになるでしょう。話がそれました。もちろん2,3年前の私も相当決め込んで医者を目指したはずです。であるから、また2,3年後には別のことをやりたいと思っているかもしれません。ですが私は、今やりたいことをひたすらやっていったその先の人生に人は満足するはずだろうと思うようになったのです。ただ突飛すぎるのもよくないですから、数か月自分の中で決断をため込んでいました。はじめは目の前に化学科と医学科という選択肢を並べて、よく吟味したあげくやはり自分の本心がわからずにいました。もし精神と時の部屋が実在して、学力も全く問題なくなるのなら、という条件を加えたらば、医学科に傾いたこともありました。そんなものは至極一般的で当然です。高給で安定しているのですから。しかし最近になって事が変わり始めてきました。同じように吟味しようとすると、化学科の選択肢がないのです。どこへ行ったのかと見渡してみると、私の胸のあたりにありました。これはたとえ話でも何でもありません。そうしてなるほどもう私は決めたのだろうとやっと自覚をしたのです。私はこの2,3年の間、医者になるために生きていましたが、今は楽しくて生きているのです。科学的見地にもとづいて私の発想を現実に落とし込もうとする試みが楽しくて仕方がないのです。いくつかの面白い理論を作りました。まだ知識の浅い弱い理論ばかりですが、いずれ、何かを形にしたいと思っています。ただ、医者を目指したことは全く無駄ではなかったとも深く思うのです。過去にも述べましたが、私は医者を目指したことが関係してこのサイトを始めたのです。物語なんかを書いても来ましたが、また実に多くのことを考察してきました。残念なことに、すべてが楽観的な結論にたどり着くことはありませんでした。悲劇的な結論は存外身の回りに転がっているものだと思い知らされました。考えを巡らせることで有益になる場合もありましたが、一方で気分が暗くならざるを得ないこともありましたから、考察なんてものはほとんど爆弾解除みたいなものです。しかしながら、私は悲観におぼれた人間ではなく、悲劇は悲劇であり、喜劇は喜劇であることを認めたうえで生きていきたいと、そんな考えになれる人間になることができたのです。また化学科というのも不思議な縁がありまして、私は文系であったので医者を目指して理転をしなければ化学に触れることもなかったでしょう。文系のまま行けば、世界史は社会の動きがよくわかり、また予測までできるのだから素晴らしい、私はこれを専攻したいのだ、なんて言っていたのかもしれませんが、少なくとも今の私は医者を目指したその延長線上にしかいないのです。私は、人生なんてものはそのときにやりたいことを懸命にやっていればそれでいいと思うのです。誰も未来のことなど分かりませんから、ただ人智を尽くすのみなのだろうと。私は国語の才能がありましたが、純粋な国語への興味からやりたいことをみつけることはありませんでした。思いもよらぬところから、我々は道を見つけるのです。私に言わせれば、言葉に大した力はありません。人を動かすのはその文章の裏にいる書き手の信念だけです。ですからこの一年間ほど、私はここにただ赤裸々に信念を垂れ流してきました。意味のない文章など一つもありません。しかし、もうこの役目は終えるべきでしょう。なぜならば私にとっては、やりたいことを見つけたからであり、またある人にとっては、私に彼女ができたからでしょう。私が苦悶して作り上げてきた最高の哲学はこのサイトにすべて吐いたはずです。なにかあなたにちょっとでも役に立てたのなら、過去の私もやった甲斐があったというものです。そのうえで一言述べるとすれば、哲学には意味がありません。意味あるものに結びつかないからです。しかし意味のないことを追求した人ほど、生きることにめっぽう強いでしょう。なぜなら、人生には意味がないのですからね。このような形で急に終わることになってしまったことは少々寂しくもあります。ですが何事も惰性で何かをするなんてことはあってはならないと思うのです。もう次のことを決めたのですから、きっぱりと私は腹をくくることにします。ごめんなさい。論理論考実験科学部を完結させたいという思いもあったのですが、あれは未来の私に託すことにします。いずれギャグマンガ家にでもなりたいと思ったときのネタになるでしょう。私はこれから山登りを始めます。しかし今度の山登りは、以前とは違います。私は頂上の景色を求めて山を登るのではありません。ただ山登りが楽しいから、登るのです。あなたもまた、もう登っているのなら頑張っていただきたく、そうでない方も、山を見つけるところまではこのサイトが多少なりとも力を貸してくれるはずです。いいですか、私も決して長い人生を生きて来たわけではありませんが、生きれば、いずれ生きたくなるものです。残りの人生を楽しみましょう。

それではまたどこかで。