(考察)マスクのセンスは下着のセンス
男子のノリがありますから、苦手な人は読まない方がいいでしょう。
コロナの猛威でマスク社会は当然のものとなった世の中です。
日本人にとってはマスクはそこまで抵抗のないことですから、日本ではサクッと受け入れられました。
ところが、これによってマスクをマスクとして捉えないまま使用してしまう日本人が大量に存在しているのではないかと思うのです。
マスクを全く異端の新しいものとしてみればデザイン選びも慎重ですが、日本人はその敷居がない分ちょっと観念が緩んでいるのだと思うのです。何が言いたいのかというと、マスクのセンスが下着のセンスになっているのではないか、ということです。
例えばイヤリングならば下着のセンスはそこには出にくいです。しかしマスクは下着と同じく布ですから、同じデザインなどあまりに多く存在するでしょう。ですから如実に、その人の下着のセンスが露呈してしまうのです。
おそらく、フリフリのついているマスクをしている人は、フリフリのついている下着をつけています。黒マスクをつけている人の下着も黒でしょう。無意識に、反映させてしまっているんです。
白マスクの人は特に何も考えていませんから、ガサツな下着を着ているでしょう。デザインも凝っていませんし、上下もバラバラで着けています。
この考えを補強する発想を思いつきました。
露出狂の快感の本質が「普段人に見せないところを見せること」だとすれば、この現代社会において公然の前でマスクを外すことも、露出狂と同様の快感を得られるのではないか。
トンチンカンに見えますがそこまで的外れな論にも思えません。そしてここにおいても、マスク=下着の等式が成り立つのです。
女性の方が読んでいたら、ぜひ今後は気を付けてください。
男性の方は、いいことを聞きましたね。街ゆく人々、気になるあの子、マスクを見れば全てがわかるでしょう。
ちょっと気分を害しますが、試しにいろいろ想像してみましょう。